猫のサロン ~家族のはなし~
戯曲:北村耕治
演出:田中圭介 / 元田暁子
場所:ひつじ座
●クツシタの夜 演出:元田暁子(DULL-COLORED POP)
大日向裕実
菊池佳南(青年団)
斉藤マッチュ
芝博文
杉山薫(シグナルズ)
村田牧子(青年団)
村田与志行(ボタタナエラー)
山ノ井史(studio salt)
力武修一(劇団リケチカ)
■水底の静観者 演出:田中圭介
大竹沙絵子(国分寺大人倶楽部)
金川周平(劇団東京オレンジ)
佐藤祐香
芝原弘(黒色綺譚カナリア派)
島守杏介(劇団東京乾電池)
長野海(青年団)
照明:南香織
音楽・音響:松田幹
宣伝美術:土谷朋子(citron works)
制作:北村耕治
企画製作:猫の会
協力:エアーズロック ダックスープ ノックアウト ひつじ座
ひとりでは居られないひとびとへ
はじめに断っておきますと、私はひとりでは居られません。
知り合うひとはたいてい一皮むけばロクでもなくて、嘘をつかれ、馬鹿にされ、搾取され、対する自分も負けずに同じことをやり返しながら日々を暮らしておりまして。
もううんざりなんてことも度々ですが、ひとりで居ることなんて到底選べません。
夜中に誰かの寝息が聞こえると安心します。
遠くから窺うだけでもいいからその動静を見届けたいひとがいます。
それぞれいびつで好き勝手に暮らしている家族の幸福をいつも願っています。
私は彼らにされたことを忘れないし、私がしてきたことも忘れません。
いや、忘れていることもたくさんあるか。お互い。
あなたはどうでしょうか。
「クツシタの夜」は2009年1月に、「水底の静観者」は2011年1月に、それぞれ猫の会で上演した戯曲です。連作というわけではありませんが同じ街を舞台にして、きっと近所のそこいらですれ違うくらいはしているであろう人々が登場し、それぞれのままならない日常と格闘したり、あるいは逃げていく様を描きました。今になって読み返してみると、不思議なことにどちらも初演のあの頃より、今この瞬間に上演するほうがずっと適切なように思えます。
どちらも扱われたテーマこそ違いますが、寄る辺なさを抱えながら生きる人々とその家族が登場する劇です。
そういうわけで今あらためて、私はこの2本を「家族のはなし」として世に送ります。
ひとりでは居られないひとびとへ。
どうぞよろしく。
猫の会主宰 北村耕治
●クツシタの夜
颯子と文男は仲良し夫婦。
颯子はアルバイトで家計を助けながら細々と女優業。
文男は父から継いだ電器店を営みながら、野良猫を捕まえては保護する地域猫活動家。
毎晩のように現れ、酒を飲みクダを巻く仲間たち。
突然の冷夏、暑いぐらいの暖冬。
終局へ向かう世界を横目に二人は幸せに暮らしてゆく。
■水底の静観者
篠井円は、休業中の旅館「藤村」の管理人。
かつて同じ場所で創作に励んだ祖父の背中を追うようにして小説家を志す。
暮らし慣れた街はデリカシーのない再開発に揺れている。
酒を飲んでは飲まれる日々が、煩悶と酩酊のうちに過ぎてゆく。
ある日、離れて暮らす家族と友人たちが集まった。
気の置けない宴が始まろうとしたその矢先、男は現れた。
この公演は企画自体が急に持ち上がったこともあって諸々準備が追いつかず稽古初日から劇場入りまで始終ワタワタしておりました。やってる最中は「こんなスケジュール組みできるかぼけ!」とか「ふざけんな●中!」とか呪わしい気持ちいっぱいで日々を過ごしました。いやあイライラした。とはいえこうして喉元を過ぎてみますと、どんな苦労をしてもこの手の実験だったり模索だったりの機会を設け続けることは私にとっても猫の会にとっても一定量以上の意義があるなーとしみじみ感じる公演でした。
「クツシタの夜」はドラマリーディングも含めると都合3回目の上演でした。私は、過去3回の中でもっとも若い上演になったと感じました。言葉を変えると、当事者性が強く出ていた。これまでのどの上演よりも生っぽく、切実に見えたのです。若書きらしく、頭のおかしい人しか出てこないわりに何も起きない困ったホンなんですけどね。演出を担当した元田暁子は、作家にも及びがつかないリアリティをこの戯曲から汲み取ってくれたのかもしれません。これを書き上げた当時の私と現在の彼女の年齢が近いことも影響しているのでしょうか。
「水底の静観者」を観た古くからの友人は「原作・北村耕治」だねと言っていました。まさしくその通りで、もともとあった戯曲のテキストは分解され、演出家・田中圭介の持つ言葉と心象と俳優の身体と事情でコラージュされて、もはやまったくのベツモノの様相を呈していました。自分の戯曲にここまで手を加えられたのは初めてのことだし、今後も二度とないかもしれません。稽古場に通っている最中はずーっと恐かった。彼らが何をしているのか分からなかったのです。だけど最初に通し稽古を観た夜、確信しました。この劇はこんなルックスをしているけれど、私がこの戯曲に込めたものはなにひとつ損なわれていない、と。それは間違いなく猫の会の演目でした。
ま、評判は見事に真っ二つでして、私は飲みに行くたびに叱られたり賛辞を浴びたりして目を白黒させました。水底は最大で3回リピートしてくださったお客様がいたようです。ありがとうございます。一方で、ひどくご立腹されたお客様もたくさんいらっしゃいます。嫌な思いをさせてしまったこと、お詫び申し上げます。
私は万人に認められる何かなんて気持ち悪いと思っています。信じられない。何かを無条件に慈しむひとがいる一方で、同じものに悲しくなるほどの嫌悪を抱くひとがいてもいい。私は演劇を通じて、そういう何かを作っています。これからも作り続けるでしょう。お客様の感想はすべて受け止めますし、その上で自分がよりよいと思えるものを探し続けます。
そういうことしたいんだよなぁーって。
改めて感じたこと、やっていこうと思えたこと。それがこの公演の一番の収穫だったのかもしれません。